「ファーザー」不思議の国の認知症の世界
年を取り老人になれば、子供や周りにいる人の名前がわからなくなることは当たり前だと思ってきた。
祖父母の前で、5分おきに自己紹介をし直さなければいけないことを不便に思うときはあっても不思議に思うことはなかった。
どうして、本人が混乱していることを想像しなかったのだろう。
子供に接するような態度をとってしまったのだろう。
映画「ファーザー」の世界はとても奇妙だ。
冒頭からホラーのような展開と音楽。主人公のアンソニーも混乱しているが、観ている私たちもとっても混乱してしまう。
認知症の人目線で描かれた今作は、終始時間軸が交差し、今自分がどこにいるのかわからなくさせる。未来を予知しているかのように感じる場面もあるが、それはリアルな認知症の世界を覗いているのだ。
「私は孫の○○よ」と伝えた数分後に、「あなたは誰?」と聞いてくる。それを繰り返していると、未来も過去も今もシャッフルされたような感覚になる。
アンソニーは何度も腕時計の在処を尋ねる。
自分がどこにいるのか、コンパスのような役目を担っているのかもしれない。
私の祖父が認知症の前兆を見せたとき、お金を盗られたと言った。それは本当にポピュラーな症状で、それを言って騒ぎ出したら認知症を疑った方がいいとさえ言われた。アンソニーもまた、腕時計を盗られたと周りの人を疑った。
私の祖父はとても頑固で、気前がよく・・・アンソニーと少し似ているかもしれない。
みんなが手を焼いていたのは確かだ。すっとんきょうなことを言い出した時、面食らった周り同様、祖父も混乱し怯えていたのではないだろうか。
この映画の視点は、憶測なのか事実なのか。現実的に考えれば作り手側の憶測なのだろうが、それにしても妙な説得力がある。
私の祖母はとても大人しい性格だった。
老人ホームに入ることにも、一緒に入った祖父が先に亡くなったことを知られまいと私たちがついた下手な嘘にも、何も言わなかった。
毎週、祖母がいる山の上にある老人ホームを訪ねた。
老人ホームは妙に静かだったことを覚えている。
認知症が進んだ人が多く、快活におしゃべりをしている人は少なかった。
食堂に祖母がいるタイミングで訪れた時、部屋の隅の方に座ってつまらなそうにしてる祖母と目が合った。いろんなことを忘れてしまった祖母の顔がぱあっと華やいだ。私たちの名前は今日もうろ覚えかもしれない。でも確かに、自分に会いにきたということを認識していた。
アンソニーは頑固で、人を傷つけるようなことも言ってしまう。介護する娘のアンは、父親の言動や行動に不安げだが、たまに褒められると少女のように微笑んで喜ぶ。父親は年をとっていっているだけだとアンは思おうとする。しかし変わっていく父親がSOSを出した時、アンは自分の考えが甘かったことに気づく。
全編ほぼ室内で、同じような廊下を行ったり来たりするシーンが続く。混乱した不思議の国のアリスのような世界は、明瞭に終わるのではなくひっそりと幕を閉じる。
自分が別の何かに変わろうとしている感覚を味わう。